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三重熊野 熊野古道と歴史探訪の地
神々が息づく悠久の大自然

観光名所



 

花の窟神社

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、亡くなった後に葬られた御陵。
平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。

花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、
全国から多くの参拝者で賑わいます。
花の窟では年2回、例大祭が行われます。神々に舞を奉納し、日本一長いと言われる約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の
高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。
この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化」に指定されています。  

 

獅子岩

世界遺産、そして天然記念物及び名勝「獅子岩」は、地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩。
昔から南側に位置する神仙洞の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として
敬愛されていました。このため、大馬神社には今も狛犬が設置されていません。

 

七里御浜

熊野市から紀宝町に至る約22km続く日本で一番長い砂礫海岸「七里御浜」は、「世界遺産(浜街道)」「日本の渚百選」に
選ばれた美しい海岸地域です。
その昔、熊野詣でをする人々にとっては「浜街道」として、西国三十三所を目指す巡礼者が多く歩いたことから「巡礼道」とも呼ばれ、
信仰の道としての役割を果たしていました。
海岸には、熊野川を経てたどり着いた様々な種類の石を見ることができ、春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られています。 

 

丸山千枚田

日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」は、1340枚の規模を誇る日本最大級の棚田であり、その景観は日本一と称されます。
約400年前には2240枚の田畑があったいう記録が残されていますが、平成初期には後継者不足等により530枚まで減少していました。
平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1340枚の規模が維持保存されています。
復田された田を利用して、丸山千枚田オーナー制度が実施されており、毎年100組を超えるオーナーが登録しています。
年間を通して稲作体験が行われ、都市住民との交流と棚田保全活動が行われています。

毎年6~7月に虫送り行事が行われ、棚田に1300本余りの火がともされ日が沈むとともに幻想的な風景が味わえます。
 

鬼ヶ城

熊野の大自然が生み出した名勝地・鬼ヶ城。獅子岩と同じく、荒波や風の浸食と数回の大地震によって
できた岩の芸術作品です。熊野灘に突き出た小さな岬があり、大小無数の洞窟などが階段状に並び、
熊野灘に面して約1km続いています。

産田神社

イザナミノミコトが最後に生んだ火の神、カグツチが生まれた場所とされています。この神社には
日本で二か所しか残ってない、最古の神の宿る場所として作られた場所「ひもろぎ」があります。

熊野那智大社

神日本磐余彦命の一行が光り輝く山を見つけ、その山にて那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命
(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。
神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により、大和の橿原の地へ入り神武天皇
として即位され、先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいると
いわれています。(烏石)
その後、仁徳天皇により山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様を祀りました。
これが熊野那智大社の始まりとされています。

三反帆

平安時代より熊野本宮大社から熊野速玉神社を往来する「川の表参道」だった熊野川の移動手段として
活躍したのが三反帆。川下り体験として今もその姿もその姿を残しています。

徐福の宮

秦の始皇帝の命令によって、不老不死の仙薬を求めて日本にやってきたという徐福。
彼の墓だという石碑があり、 祀っているのがこの徐福の宮です。